早川氏

http://d.hatena.ne.jp/Emmaus/20111029
なんかさ、皆、早川氏の事を書いてるじゃん!
早川氏、静かに面白い人だったので
それが伝わっているのもいいね!。
ネットのオフは弱味を見せる事で敬遠される人達だけでもない、
そう思いたかったので良かったなあ。

「元気が前提である、元気がないのが前提である」
元気があるオフでは互いに
元気の上塗りをして
元気がない前提でのコミュニケイションでは
元気がない事を共有する。

そこそこ重ねて来た人生はそんな簡単にスパッと
切り分けられる訳もなく、
元気ではない事が多いこの社会
そして生活の中で
元気を見つけて生きて行くしかない、
とは思うのですが、
自分に元気がない時には
「ああ、これは会うと皆に迷惑かけてしまうな、
自分には相手に元気を与えてあげられないな」
と思ってしまいますよね、。

それがネットのオフだったりすると
余計にそう思ってしまうのかもしれない、。
早川氏がそれを気にしていたのも知っているので
はてなの日記を色々と読んでいて、
そこまで察して氏と付き合ってくれている人が沢山いるのを
嬉しく思ったり勝手にしてます。

が、はてな経由でちょっとした仕事がらみの件があり、
そこで氏は「ちょっとなあ、、これはな」と話していた
経緯が過去にあった事も聞いていた。
この際だから書いてしまいますが、
(というか、こういう事を書かないから
ダメなんだと思いますがね、いい人でいたいからさ、皆。)
氏のイラストを何か利用するような意図を
相手に感じてしまった件が氏にはあったと。
(別に犯罪とかじゃ当然ありませんが)
そのルールが仕事のルールであるのは承知してますが、
ネットのオフの世界がからむと、
そこのバランスが難しいのでしょうね。

つまり「自分のために相手と付き合うのか、
それとも相手のために付き合うのか。」
当然、出会いの最初は両方があるのは自明なんでしょうが、
そこで何か違う、別の状態で付き合う時には
そのバランスはとても繊細で難しい事だと思う。
相手への尊敬の念があるのか?、
それを見極めて付き合うのは
しんどい作業ですし、
そこを信じてこその世の中だとも思うのですが、残念な思いが少々あったのも早川氏から聞いていた事です。

なら「元気な上塗り状態でしか付き合えないのか?オフは」
とそういう切ない結論になるわけですが、
「世の中は捨てたモノではない」と、それこそ
死ぬまで思っていたいのが人間ですのでね、。
なんですよ、おいらも思うのは、
つまり「人間は捨てたモノではないのだ」と誰もが思えるように
個々が振る舞う事でしか社会は良くならない、と
それしか最近の救いはない気がしているのです。

で、「捨てたモノではない」と他者が思うような行動が
何であるか?、。
はっきりとそれは「何かを引き受ける事を自覚する」
しかないですね。
その引き受ける事で失う事がある、のは前提ですからね。
その失う前提をどこまで線引き出来るのか?
さすがに「自分の死まで差し出す」訳にもいかないとは
思うのですが(が、それが最大の感動を生み出す物語の原点ですけどね)、おいらが今思うのは、
「ちょっとの楽しい時間くらいは自分が遠慮して
相手のために動く、それもまた何かの縁であり、
深さだ」というそれだけですね。
おいらは人と友達になる時はそこまで考えますよ。
そこまで出来ない人とは最初から友達として付き合いませんから。(そりゃ、最後保証人になってくれ、と言い出しそうな人とは最初から付き合いませんけれど。)、。

そこがね、ネットのオフの世界の難しさであるな、と
早川氏との件で思った事です。
そこまで踏み込んで早川氏を思う人がはてなにも沢山いて
早川氏も嬉しかっただろうなあ、と思ってます。
別においらは一番の親友だったわけでもないんですけどね。
ただ、付き合いは深かったと思うので。

で、自分ですが、
それが迷惑かどうかなど考えずに
もっと頻繁に早川氏に電話して
「いつか一緒に住もう」という話しの前段として
「八王子市に引っ越して楽しく過ごそうよ」
と言うべきだったと今では思います。
そうなりゃさ、映画はもっと気軽に観られるし、
毎週電車気にせず酒はのめるし、
登山にも気軽に連れていけるし、
まあ、はっきりと「何かから降りた」事を前提にする
感じですけど、まあ、それも(つまり家族を持つ可能性だ)
多少の期待を持ちつつ、一応、念のための準備としてさ、
絶望して死ぬよりは、くらいのね、
どっちにしろ東京も放射能が降っているんだから、
不幸は前提だろ、くらいのさ、ブラックな気配もありつつ、
まあねえ、そこからまた違う上を目指そうよ、
くらいは言えたと思って後悔はしてますが、
それもこれも後数年は氏がいてくれたら、という安易な
考えがあったのも確かでさ。

まあ、もうこちらは、死ぬまで走るしかないけどさ。
早川氏は、そのおいらの突っ走りがちょっとうっとおしかった、気がしない訳でもなかったのですけど、、。

でも、いずれのための走りで、走れるウチには
って思っていたんですけどね。
で、ここまで来るとね、20代とか30代とかじゃ
ございませんのでね、
「走るのは自分のためであり誰かのためだ」って
理解して一応走ってますからね。
ねえ、。
まあ、途中で転んでおいらもお怪我するのか、
とかも思ってますけどね。
(いや、実は怪我したリハビリで走っているのですけど)


いや、話し長くなってしまいますが、
とにかく、あれだ、はてなで早川さんが色々な思いをしていたのは事実で、氏がおいらに話しをしてくれていた人、
信頼出来ていた人は、やはり「信頼出来た人」だったのを
今回、早川氏への追悼を書いてくれている皆さんを見て
思う事ですね。

で、女性はやはり少ないね、それがまた一つの事実で。
そりゃね、しょうがないよね、。
独身男性とコミットする事がどういう事なのか、
女性は知ってますからね。
まあ、しょうがない、と思いつつ。
でも、そこを最初からスパッと出合い頭に切る人は
心底うぜえ、と思いますけどね。
そこまで社会のリスクを背負う気がないのか、と。
まあ、よく早川氏とはそういう話しもしてましたよ。

それもあるのが世間だ、とは知りつつ。
なら、こちらが偉くなっちまえ!、
と、おいらはそのパターンですけどね。
だから態度や表現が意地悪なんですよ。
わははは。
知っていてやっているんだから。
最低ですな〜。
「調子がよく自分だけが生き抜けると思うなよ」
とか思ってますからね〜、この御時世では
それが加速してますけど。

早川氏の自家に伺った話題はかける範囲で
また書きます。
海が見える家でした。
ただ、その部屋に届く音は
その海の波の音しかないような場所でした。