ミッション/8ミニッツ

早川さんが観たら一緒に盛り上がれただろうなあ。

素晴らしい映画でしたよ。
SFなんですが「一瞬すれ違うだけの相手であろうと
こういう風に思えたら社会は豊かになるであろう」
という視点があり、それを映像化出来た事を
奇跡に思えます。

映画と言えば、「グラントリノ」。
僕も早川氏も大好きだったんですが
早川氏、今思うとイーストウッドみたいな
気高さへの憧れがあった人ですね、
仕事も出来て才能があった人ですしね、。
が、体調を崩してからそのプライドがねえ、
自分をより弱らせてしまったと思います。

最後、今年の8月に呑んだのですが、
氏には自尊心だけが残っている、と思いました、。
早川氏らしいのですが、、。
人によってそれは自尊心は自分の中に強固にあり
現実がどうであろうが揺るがない人と
吾妻ひでお氏がホームレスになっていても
それを持っていた事を思い出します)
多くの人がそうであると思うのですが
今、そして将来の中にある現状の自尊心、
そのバランスなんですよね。
内と外のバランス。

いくら「自分には能力がある」と思っていても
世間が認めない、仕事もない、となれば
自尊心を保つのは一層自分を追い詰める事に
なりかねますしね、。
「自己嫌悪」
早川さん、元気な時からよく言っていたなあ、と。
いいのに!っておいらなんかはいい加減だから
思ってたけど。
おいらはいてくれるだけで
助かっているのに!って。
「いるだけで誰かの助けになる自分」
それを最後の自尊心にしてくれたら良かったんですが、
なんかさ、長い付き合いにもなっていたのに
おそらく早川氏は
「オレは弱っているから自分は誰に何も与える事は
出来ない」とか思っていたんだろうなあ、と
弱った時に誰でも考えがちな事ですよね、
付き合いに敏感な人ほどそういう事を思いますから。
それはしょうがない、と思いつつ、
でも、本気で
「いるだけで誰かの助けになる」と思わずには
やっていられないのも事実ですよ、。

それがね、共同体を失った日本の最後の命綱でもありますから。

で、そこでその先にある
「互いの社会的関係性における利益の補完関係」
とかさ、まあ、それで動く世間ですけど、
まあ、それははっきりと一旦置いておく、と。

メリットとかデメリットとか、
そういう過去の社会的視線を公共性に少しづつ変えて行かないと
どちらにしろこの社会は持ちませんよ。

この数年、色々と思う事へのすべて繋がっているのです。
早川氏、、まじ、もう、生き返ってよ、。
で、もう開き直ってよ。
こんな社会に過剰適応出来ない事を悔いてもしょうがないよ。
適度に付き合えばいいんだからさ、って言いたいなあ。

この社会は自明だ、なんて嘘だったのはもう今年の
3/11以降、バレバレじゃん、。
皆、適当に自分の利益を最大限に引き出す事だけで
成り立っていた、ってそういう事ですから。
まあ、ある程度の法律内でさ。

メリットとかデメリットみたいな
資本化された視線でしか他人と繋がれないから
こうなったりするんですから。
で、それは自明な社会でもなんでもありません。
反資本主義でも仕事嫌いなわけでもなんでもありませんが
「世の中、いい加減」なんだから、いい加減な自分を
あえて自分に残そう、と今は思うな、、。

早川さんにもそれを伝えたかったし、
遠回しで言っていたんですけど、ねえ、
それはもう早川氏の生き方であり
早川さんの歴史ですから、ね、、
当たり前ですけど。
もっと巻き込んで、とも思ってましたが、
それをやるには10年早い(比喩ではなく時間的に)
と思っていて、。

ウ−ン、、。