いやいや。まだまだ」

「明日、30日に実家へ弔問へうかがう予定だったので
後に書こうと思っていたのですが、。
10数年親友だった(と思っている)H川氏がなくなった。
おいらと氏を知っている方なら名前を知っているでしょう。
昨日もPC内の写真を探して、
4年くらい前に友人たちと
一緒に高尾山に登ったときの氏の姿を見ている。
白い歯を見せて笑っている。
その白い笑顔から今に至る4年の間にも
氏とは何度も呑み、映画を共にし
色々な相談をし、電話をし続けた、。

「最近どうすか?何かあった?映画みた?仕事どう?」。
今年の8月上旬に会ったの最後で、
その下旬か9月頭に電話したときには、
もう電話に出るのも億劫そうで会話もつらそうで、
つまり
「どうもこうもない、俺には何もない」
という事だったと思う。
氏とは年齢も同じ、65年生まれ、
月も同じ、3月生まれだった。
僕たちは映画と音楽が好きで話を沢山した。
で、互いに40歳も半ば過ぎて独身であった。
色々と言葉はあるし希望に向けての言葉もあったとも思う。
が、僕の本心は一言、
「怪我や病気、色々な不調はあれど、
愛する家族を氏が持てていたらそれは乗り切れた」と。
言葉では実存を超えられないのは僕も了解していたので
自分の交友の何かきっかけてで氏に大事な人が出来たり、
仕事を紹介出来たり出来たら、とも思っていた。
僕みたいに独身で孤独は同じでも、
音楽生活があったりするのは
特殊事情であるのは自明だから。
(それも結構評価されちゃったりしてさ。)
氏はイラストの才能があったとも思う。
人が孤独を抜けるために
(自覚的であろうと無自覚であろうと)
何かしらの才能の使用するというのは常道だが、
それで「自分を愛する人が現れるか?」どうかは別の問題だ。
その可能性がそこにあるというだけだ。

氏と最後に近い頃の会話で今でも思い出すのは
「運がなかったと思って、諦めた」です。
つまり、氏が本当に望んでいたこと、
状況を氏は手に入れられなかった、
と自覚してしまった、。
「いやいや、まだまだ!」
と僕がそのとき言ったのかどうかも覚えていないのですが
40代半ばを過ぎて病気を抱えている方に
それを言ったとしても氏は聡明なので
「そんな事はない」と自覚したかもしれない。
なぜなら自分も体力も気力も落ちた年代であるのを
自覚しているからだ。
30代までは互いにそのマジックワード
バカ話で切り抜けられた、が、、
今は40歳も過ぎた後は何もかも下向きの人生しか
ないのは自覚しているからだ。

が、「いやいや。まだまだ」
と自分は友人にも知り合いにもそして
自分にも言い続けるしかなく、1人でいるという事は
それを永遠に続けることなのも事実で。

いずれは「宮崎ランドを作って一緒に住もうよ」
と本気で(今でも)
氏にも話していたのですが、、。
まあ、この話題は構造的な話にもなりえますし、
4年前から今年の死に至るまで氏が
「独身者がそうしたらまずいよ」
という選択をしてしまった(と僕には見える)
事をしちゃったという気が
しないわけでもない、が、
どこまで踏み込むのか、は
親友であったと思っていても
「他人の人生にどこまで踏み込むか?」を
決めなくてはならない、。
それは何か?というと
「相手の自尊心を丸ごと引き受ける事」だ。
ネットだけの関係性では生じない、つまり、すべてだ。
排泄物の処理、とまでは言わないまでも、。
いずれは自分も含めてそこまで
踏み込むことになるであろうとは
思っておりましたが、
(まあ、上手いことやりますよ、おいらは。能力を
そのために使ってますから)、まさか、40代で氏が尽き果てる、とは、。
もう電話で相談もバカ話も出来ないのか、と思うと寂しさは想像もつかない。
が、最後の頃には「もう電話しても自分の元気さが氏にとっては煩わしいのだろう」
と思っていたのも事実だ。
それが分かっていても連絡続けていたのですが、、
いずれ「いやいや、まだまだねえ、なんとか」と
最後の意地でね、それであらばとは思っておりましたが、。
star warsの例えが有効なのか、分かりませんが、
アミダラ姫の最後のように
「生きる気力を失っている」としか形容しがたく。
恋人を紹介?仕事を紹介(一度、紹介して失敗してしまた)?、
出来ずに氏が笑える日が来るのか?。
答えが出る前に亡くなってしまった、。
大好きな映画も本も音楽さえ
「接する気力がなくなった」友人に
どう話せばいいのか、。
おいらが今でもこういえばよかったと思うのは
「八王子市に引っ越せば映画でも温泉でもなんでもあるよ」
だったと一つだけ後悔はしている。

映画「ディアハンター」のラストシーン、
僕も氏も大好きな映画でした。
明日、友人と線香をあげて乾杯してきます。



そして、氏に関しては本当にいろいろと思うことがありすぎるので
(それこそ構造的とか判断的とか)、
折りにふれ書く予定です。
ありがとう、H川氏。
「てめえのために死んだわけじゃねえ」と言われそうですが
「あ、そこで動かないと、、」とか思う事が沢山あったので
今後、この生きづらい日本で参考にしますよ、。
ありがとう。
距離がある人は「ご冥福をお祈りします」とか
書けばいいのでしょうけど、まあ、自分はそういう
立場ではなく、今も今後もH川氏の存在を引き受けて
生き続けるしかないと思っております。