ぼんくら主義、の希望。

http://blog.tatsuru.com/
内田樹さんの文章、。
深く頷き。

で、なぜ、そういう社会的動員、
動機づけ、数値化出来る経済指針に人格を奉仕させようと
思ったのか?、
それが戦後の目的だったからでしょうね、。
つまり、対アメリカの態度として、。
一流国になるという自明性、それが欲しいがための
構造ですね。


原子力発電がなぜ存在するのか?、
と全く同じ話ですね、
不合理を数値で押し切り、
非現実を現実として押しきり、
生まれた利権を獲得する人間にとっては
もはや動機や目的さえどうでもよい、
体制維持が目的化、と、、。

内田氏の問題点を理解し社会化してゆく作業の困難さ、。
でも、やるんだよ、ですけどね。

で、ね、最近強度が増しているtbsラジオ文化圏の話しは
実はこの話題と離れず、近い文化圏ですからね。
「ぼんくら主義」ってあるでしょ?映画秘宝的な、。
あれねえ、内田さんの命題に近い答えの一つでもあります、。
「この映画を欲してしまう状況が続く限り、
自分は永遠にボンクラであり、ボンクラに対しての
社会化された視線は捨てられない」という実存ね。
映画って素晴らしいね、そういう意味でも。
(ちなみに音楽はボンクラ素材としては
クラスタ化されちゃうから無理ですね、
モテキサブカル扱うのに映画だけオミットされた理由は
それです。主人公幸世が「ゾンビ映画好きなんだよね」
となると長澤まさみとのバランスが崩れるという。
つまり映画好きは基本、本気でボンクラなんです。)


で、そこがオーケン世代のサブカルが出せなかった答えの一つでもあります。
「ボンクラ売りにしてもそれが優秀で売れてしまった後は
その実存はどう処理するの?実際貧乏でモテない事が自己証明だったのに、それを表現化したら解消してしまったらどうするの?
いや、みうらじゅんさんもオーケンも娯楽として今でも
面白いから問題ない、、それでよし!、、か?」
と、その先ですね、。

町山氏にあってオーケン世代にない態度、
実は彼ら世代は同じですが社会化された時期がずれたというのは
大切な事実です、、。