「マイ.バック.ページ」

色々と思う事多し。

あの時代、70年代初頭、
全共闘の残り火の時代、、。

やはりその時代が分からない、
と思う、そして自分が知りたいのは
72年のあさま山荘事件から
77年までの5年、
その5年間だ。

77年、サザンデビューだ。
5年で何があったのか?
そこを当事者から聞いた記憶がない。
サザンからの時代しか知らぬ自分が
その5年前の「マイ.バック.ページ」
の時代の感覚がまるで理解出来ない、
そこを誰か語って欲しいし、観たい、と。

映画的な感想もありますけど
見事な撮影、照明、美術、
「ノルウエイの森」がいかにダメだったのか、
とか思いましたけどね。

とにかく、全共闘は今でも闘っている!か
青春の思い出、
それ以外ないのかねえ〜、。
その時代のジョンレノンの言葉であらば今でも
理解出来るのにねえ、。

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東電と政府の事態に対する姿勢、というか、
反応、隠蔽体質に見える態度、かなり度を越しているとは
思いますが、あれは、日本の企業集団いや日本のコミュニティの
姿としてはスタンダードだと思いますけど、、、。
属する集団内の人たちと仲が良ければ良いほど
親和性が高ければ高いほどあの状況になると思ってます。

自由業、個人経営で自己責任が日常的である人にとっては
あの対応は不可思議でしょうけれど、ね、。

ゆえにやはり問題は
「日本人的同質性を保ちつつ社会性を獲得する企業、
集団倫理と論理の獲得」しかない気がするな〜。
それには何が必要か?
おいらが思っているのは
1、文化
2、文化を通じたコミュニケイション
3、複数の共同体へのコミットメント
4、集団論理を何よりも優先させる教育環境を変える。

などかなあ、他にも色々あると思いますけど。
まあ、おいらは文化的コミュニケイションが好きですから、
どうしてもそちらに傾きますけどね。

「属する地域的集団倫理に従うのではなく
別の倫理感を有すること」ですからねえ、。
「オレは、先公の言うことよりも
ジョンレノンの言う事を信じるね」
みたいなさ、。

あ、ヤンキー文化も当然文化です。
が、ヤンキー文化ってより先鋭化した日本的社会の構築、
ってイメージだな〜、。
ヤンキーは好きですけどねえ、日本的という意味では。
が、より同質性が高いのも事実ですから。

文化的コミュニケイションというと、海外の文化への親和性や
物語や表現へのコミットメント度合いによって
親しくなるパターン、おいらが成人後やってきたのは
それかな〜。
ちゅうか、そのものだ。
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