まあ、向いてないよなあ。

原発の再稼動どうなりますかねえ、。
あの事故から1年へて、
政治の道具、ビジネスの道具、自我の道具に
逆戻りしつつあり、
つまり「現実的で合理的な存在」ではなく
「それが維持される事で、ある特定の社会の幻想が維持される道具」
にまたなりつつあり、、。

合理的だから運営されている施設ではない、がゆえに
それに対応する言語が歪なんですよね、
つまり神話的言葉が使用され、と。
「絶対〜〜だ!」とか。

まあ、それが日本人らしいといえば日本人らしい状況なのですが
(60年以上前にも似たような言語で現実を乗り越えようと
し失敗して。いや、日常的に根性だ!とか好きですからなあ。)
原子力発電をそんな発想で運営するのはまあ、無理ですから、
まあ、「向いていない国民性だ」から止めるしかないと思います。

が、それでも「今さら止められない」という選択というか
無作為の結果もあるでしょうけれど、
それで60年前的な結果になろうが、
まあ、それはそれで、とも思っております。




宮台氏も書いている通り
すでに現状は
「その施設に合理性はない、それを止められないのは
それを扱う共同体の問題だ」に尽きますね。

まあ、人間の歴史上、
色々な事情やこだわりや
歴史観によって滅んでしまった共同体はいくらでもあるでしょう、
その轍を今後の日本が辿るのか、まあ、そういう現状でしょうねえ、。




「今後、大地震は永遠に2度と日本には来ないし
核燃料サイクル施設も完成するので原子力は最高だ」
な訳ないのは自明ですからねえ。
「そう思いたい、」人は大勢いると思いますが、
「思いたい現実と可能性がある将来の現実は別」ですからねえ。
それが「合理的選択」ですから。


おいら的には「最後のチャンスが今だ」と思っているので
なんとかねえ、と思っておりますが、当然。




この話題、書いていて思うのですが
国家の話しとはいえ、やはりというか、当然、
とある個人の話しとしても語るのも可能な話しですねえ。


「向いていない事、能力がないのにそれにこだわる様」
そのものですねえ、、。


よくある話し、、ではあります。