困難さ。

大阪市長橋下氏といわゆる知識人との乖離や対立。

知識人側として特に内田樹さんは著書や発言のファンであるので
思う事ありますねえ、。

で、それは「内田さんのファンで言葉を信頼して
それが繋ぐ世界があるのも知っているけれど、
その言葉では橋下氏の到達したい言語に対抗出来ない、
だから、戦略的に現実的に思考するなら
内田さんの言語が通じる世界や環境は離脱すべきだ」
という、、。

話しが通じない相手との世界観や共通点の理解ね、。

はっきりと言うと、

「現実的に負けてもいいや、オレの世界観さえ自分で守れれば」
という、思わずとも(結果がそうであらば)
それは無責任ですよ、内田樹さんであろうと。

学者は評価をするだけで具体案には触れない、
その事実の歴史的評価、位置付けをするのだ、
って、まあ、確かにそりゃそうですし、
それ以上求めるのはいかがか?としたらですね、
もしかしたら問題はこの現実に学者に頼らざるを得ない
マスコミや自分達なのかな、とも思う次第。

あ、宮台氏は言葉ふくめて戦略的で素晴らしいと思ってます。

言葉使いが綺麗なだけで相手の人格と属する環境を規定して
「オレとは関係がない」と思うマジョリティの層、
そのリアルを体感出来ないのは、、っまあ、
学級委員レベルの戯言と思われる可能性がありますのでね、。

今後はそのリアルに立ち向かうために
知識の整合性や自我レベルの整合性はどうでもよい、
とそれに惹かれつつ思う事にしております。

3/11以降。

で、おいらは元々そういう
「言いたい事もくだらない汚い言語にまみれさして
届くようにしたい」と思っていたので
まあ、当然変わらず。