色々

と、計画やら何やらあったりするのですが
すべてまだ計画段階なので何も書く事もないといえばない、
この頃です、、。
でさ、九州電力の件、。
あれ、もう狂気の沙汰ですね。
自分で自分の首を絞めていると、。
で、それは推進派全体に言える事で。
論理破綻している事ですから致しかたないとはいえ、
どこかで真摯な態度で反省をして
「1から出直します」とか言われたら
こちらも怯んだりするのですが、
そうはしない辺りが彼らの過去の行状の延長だったり
するからだろうな。
一切迷いがない事をやっていたがゆえに
現実との齟齬が生じてもすでに整合性がある態度が取れない
という、、。
小出氏は反対していた立場で
「事故を起こしてしまった時点で自分は負けたのです。」
と反省しているのに、、。
もう無理でしょうね、確実に。
原子力発電は。
象徴する人格だったり組織だったり構造があまりに
レベルが低くなってしまった事で自滅する、。
それが見えてきたと思っております。
心動かされる言動、それがまだ信用出来るのだ、という意味で
日本はまだまだ大丈夫ではないか、と薄い希望があります、最近。

そして強度ある表現を支持する、という、つまり
批評性がいかに重要であるのか、と。
こういう事態になると理解出来ますね。
何も芸術やらなにやらだけのために批評性は機能するわけではなく
すべての現実に対して批評性は重要なんです。

そしてその先にある成熟した社会、。
そこを見据えて先に進みましょう〜。