色々と

加藤賢崇氏のお母さまが
広島で原爆体験をした手記。
http://www.manuera.com/kenso/19450806.html
必読です。

これは自分が知る限りの原爆手記でもっとも
「日常と地続きの原爆体験とは?」を知る手がかり。

つまり、今の自分の感覚の風景、手触り
その延長にある「原爆体験」を実感するという、
実はそれが知りたくてそれが一番あの体験を知る
手がかりになるだろう、と思っていた自分にとって
この手記はそれに近いと思います、
ある意味残酷であり、想像を超えた悲惨さであり。
原爆直下の状況で「笑っていた」事がありえる、という、
でも、おそらくそうなんだと思います。
そこまで人間は単純ではない、。
常に現実を受け止めていつつ、
それを相対化出来るのが人間だと思いますからね。
で、当然、当事者、火傷を負った人にとっては
笑い事ではない体験だったと思うのですが、、、。
すでに傍観者でしかいられない自分にとって
その風景を幻視するにはこの手記のような視点しかないのだ、と
強く思います、。そして、当然、焼けてしまった自分を
その先に見ると、。

で、原発事故、一切楽観出来ない状態が進んでますね、。
原爆手記と同じように、
原発事故メルトダウン複数進行中における日常を
正に自分達は生きているわけで、
つまりね、「何も変わらないな」と思う、
放射能を気にしながら生活する、
楽しい娯楽や何があろうと、
「自分達の状況はすでにある設定の下で意識されている事態」
であるのは間違いなく。

つまり、けんそうさんの母上さまの手記がごとき
「あの時の現場はどうだったのか?何を感じていたのか?」
それがすべての事象において相対化される事態、と。
それがね、つまり「有事下」という事だ、と。
永遠に来るとは思っていなかったこの状況、。

意識して向かう、無視する、どちらにせよ、
「僕たちがコントロール出来る安定した日常」ではないというのは
事実です。

参考資料。
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65759339.html
文化放送吉田照美 ソコダイジナトコ」の週刊エンターにて、小出裕章氏のインタビュー。