色々と

昨日はhiko君日記経由で知った(最近そればかり)
のザ.なつやすみバンドライブ。
阿佐ヶ谷rojiにて。
ceroの高城氏の店とは知りつつ
隣のよるのひるねを今でも推して生きておりますゆえに
初めて伺う。
素敵な店は入ればすぐわかる、と
その通りのお店で。
よるのひるねが漫画雑誌の「アックス」ならば
rojiはコミックikkiか?と訳の分からん
例えですまぬ。

で、ザ.なつやすみバンド、
ピアノコード感ありまくりのバンドって
まあ、思い起こせば80年代〜90年代は
山ほどありまして、(いや、いまでもあるな)
でね、そういうバンドへ対しての色々な思いや
行く末は山ほど見ておりますので、
なんとも難しい表現になりますが、
素晴らしいと思いますよ、。
インディシーンでは今では貴重なのか?
もしかしたらマンダラ2辺りでは今でも
豊富な人材が揃っているのか?
そこは未調査ですけど、
とにかく、向かう音楽世界が懐かしいよ、
コード感とかは正調ですけど
mc.sirafu氏のオブリガードが的確で素晴らしく。
でね、実はあのタイプのバンドが抱える困難さ、
おいらが知っている範囲では
技術的に向上する命題を抱えること、と、
その技術を上回るセンスをそれに拮抗させて
進めるのか?という困難さね。
それを思いつつ観てました。
自分ならこうする、ああする、と思いつつ、
まあ、どれも正解ではないんでしょうけど、。
技術の取り入れ方というかね。
その取捨選択がpopsの肝ですから。
実は正調でありつつ逸脱するのが
逆説的だからこそのpopsの面白さ、と。

例えば、「ヘイ・ジュード」なんか、
世界で売れまくったポップスですけど
同じ構造の楽曲は他に1曲も存在しません。
それがポップスの自明性なんです、。
不思議、、。

最後は全く見えない場所にいる観客
相手を目指さざるをえませんからね、popsは。
そこにどう対峙するか?というか、
それをどう欲するのか?という、。
全部余計なお世話な話しですけどね、。
相対化した存在にならない限り、popsバンドは
続かないというのは、まあ、おそらく自明ですけど。

とにかく、今後を期待しつつ、素晴らしいライブでした。

そういえば、ライブ前に
ぐるなんとかフェスの代表がアホすぎて死なないかしらん!
彼の頭上に雷が落ちたりしないかしらん?オホホホッ!
って話していたら、隣で編集者の九龍ジョ−氏に
聞かれたらしくツイッタ−で嫌がられてしまった!
そういうコミュニケイションの始まりもあるんだ!
と、意外な発見。

人生色々とありますな〜。