作曲。

曲を作る体制に戻りつつあり、
まだまだ本調子ではなく。
ゆえに「本調子とはなにか?」という事を
考えたりしている日々です。

技術で凌げる作曲は出来るのですけど
その先を求めるのに必要な状況とは何か?と、。
それは簡単には復活しませんね〜、と。

で、
1、その先とは?
具体的な背景や状況が揃っていないと困難である、と。
まず、作曲という行為以前に。
物理的側面と精神的側面の切り分けは無理、
という前提でございます。
極端な例として、ホームレスの作曲法とは、
みたいな、、楽器がないと無理みたいな、、。

つまり、最低限の資本と時間とその背景に対する
意識の向き方ね。
(資本と時間があったとしても、その時間を
他の時間に使う、というか、寝ていたいという
欲望があるなら音楽には向かいませんから)

才能があっても辞めてしまう音楽家への考察、
とか今後興味深いかもですね。


まあ、この命題は過去でも同じではある、とはいえ、
今後はより加速する話しでもあるでしょうね、。
音楽制作で生涯生活を成り立たせられる
目算が立つ人などかなりの少数派であるというのは
すでに自明ですからね。

その状況に対して、
1、続けられる背景とは?
2、辞めてしまう背景とは?
3、続けたい、という意志がある場合にどういう方策が
  今後必要なのか?そして、その環境を具体的にどう整備するのか?

などなど、作品への批評が
主な音楽ジャーナリズムですけど
多少作り手側の心情を思うに、
この手の制作環境への言説や論考は今後必要だろ〜と。

同業内でぐるぐる回っている、
その外への音楽ルートをどう(物理的にも
意識的にも)開くことが出来るのか?と。

取り合えず、自分の環境がちょっと特殊であるという
自覚を持って、それが参考になるのであらば
(40歳過ぎで続けているという事自体がすでにイレギュラーなので)今後書いてみよう、と。
「なんでこんな事しているのか?」
と今にいたるまで思っているので、。

若い人には参考になったりするかも、と。
「ああ、30代でそれはきついな、辞めそうだな、」とか
「おお、そうすれば続けていけるぞ」とかさ。

で、リスナーにとっても「音楽を聞いていく事」が
一体、どういう事なのか?と。
ある音楽家のファンになってその才能を信じても、
その才能とは別の背景によってそれを表現する事が
困難になる、というのが、現実だと思っておりますので。
やや、残念ですからね、その関係。


漫画などは前提の資本より時間と生活でしょう、
やる気さえあらば、という、。
紙とペンさえありゃ、と。

が、音楽を持続するのは資本も重要ですからね、。
意外とハードルが高いという、、。
後、音楽は漫画に比較して本人のキャラクターが
商品性に含まれている度が高い、と。
それもありますね、。
制作系以外の音楽の場合、。
本人の社会的立場が商品性に結びつくと、。

とにかく、色々と。

あ、後、今年はここを使って、
「ポール.マッカートニ−の作曲術のような」
というのを書いてみる予定です。