最近

細かく、音楽的な色々な作業があったりしつつ、
ついに手元に届いた、ビーチボーイズの「スマイル」
カーネーションの「UTOIA」、栗コーダ−カルテット「羊どろぼう」、
シャムキャッツの「GUM」などを、聞きつつ、というか、
じっくり聞く時間をまだ捻出出来ないので
感想後日としつつ、楽しみにしていた漫画ムック
諸星大二郎特集号」を斜め読みしつつ、
寒くなったな、と思いつつ、
何かの折りに9月に亡くなってしまった早川氏を
思い出したりしつつ(あ、この状況だったら早川さんは
ここにいただろうな、という事が多いので)、
来年まで色々とやりきる方向かしらね、。
ピアノに向かう時間が増えて来たという、、。




音楽とかバンドとか、若い頃は目的持って続けていても
ある年齢になると活動が停止してしまうのは
家庭や家族の個々の背景、それも当然重要ですが、
「誰かにそれを頼まれる、作業を待たれる」
という他者の視線がない作業や表現活動の持続は
困難だという、、。
あ、天才とかは範疇外の話しですけどね、。
どこかで仕事モード、もしくは
それが頼まれ事として関わらないと
その活動に関わる他者の存在が薄くなり、
つまり自我からその活動の存在が薄くなる、
そしてそれ費やす時間が減りはじめ、
関わる時間が減るというのも、つまり、自我から
抜けてゆくという、。

これが「若い頃は何々をしていた」という言葉の意味なんだろうな。