評価

邦楽音楽界に限ったメディア評価について、
5割は作品評価そのものでありますが
前提として残り5割は
「人間関係への可能性」
についての関わる人々の恣意的要素が大きい世界である、と。

これ前提ですぞ、。
つまり分かりやすく書きますと、
「この音楽家を奏でる人間と知り合いになりたいか?」
それが評価のモチベーションになるという事です。

つまり、評価されたいと思う人は
評論家などの
相手が完全無欠の作品主義である、と思うのは幻想だと
認識した方がよく。
完全無欠ではないけど
それは「前提として存在する。それがないと始まらない、
が、そこから始まる事である」という。
尋常なる傑作、才能であらば
それ1本で流通いたしますが、
そんな逸材は5年に1人ていどの存在で
まあ大方がそんな逸材ではなく、
それでも業界は回る必要があるとしたら
互いに
「そこそこ世の中を楽しくするために
互いが利するために行動する」
のが目的化するわけで、。
これ、当然、世の中の情報産業の当たり前の姿でありますが、
「これを推薦したい!本気で!」と思う情報だけが
集まる雑誌というのは矛盾しているというか、
そういう情報だけなら季刊で十分であるのに
毎月情報がある前提で評価基準があるがゆえに、
最初に書いたような、
「半分クオリティ評価、後は日々の生活の楽しさを保障するような
ために」となるわけで、、。

と、いう事でしてね、
前半のクオリティはまあ別にして、
後半の設定があるとしたら、
必然的にそこでの振る舞い方というのが存在するのですが、、
長くなるのでいずれ。
とにかく嫌われるのは
「自分の才能に世間はひれ伏すべきだ」
みたいな妄想タイプですね。
多少才能があったとしても。